| 社名 | プラハ株式会社 |
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| 所在地 | 世田谷オフィス 〒154-0011 世田谷区上馬5-20-21 上馬柏ビル6F tel:050-3554-5643(IP) / fax:020-4662-5100 横浜オフィス(会議室) 〒224-0055 横浜市都筑区加賀原1-45-7 |
| 代表者 | ![]() |
| 主な事業内容 | インターネットWebサイトの企画、制作、保守 各種ホームページ製作 Webプログラム・データベース開発、サーバ管理 印刷物の企画、制作 広告代理業 など |
代表プロフィール
埼玉県生まれ。父親の転勤の都合で全国を転々とした後、中学へ入学するタイミングで岩手県一関市へ。高校卒業後、横浜市内の大学に進学。
ギリギリの単位で大学を卒業し、奇跡的に一部上場企業の内定(SE職)を得て社会人生活がスタート、現在の仕事での大きなバックボーンとなるIT技術を習得。
SEとして働く傍ら、趣味で作ったWebサイトが多少の脚光を浴びたのがきっかけで、Web業界への転職を意識する。26歳の頃。
仕事をしながらも通えそうなWeb学校の体験入学にいくつか参加するも、費用に見合った学習成果が得られるとは思えず、独学で技術を習得することを決意。2年の勉強期間を経てSEを退職。
単発の派遣仕事をこなしながらの就職活動、都内の小さな制作会社にアルバイトとして採用される。SEの頃と比べて年収が約600万→180万へと大幅ダウン。
しかし、収入が下がることは事前に予想できていたので、SE退職までの数ヶ月間「どこまで生活を切り詰められるものなのか」というトレーニングを自分に課し、1ヶ月10.5万円(家賃7.5万含)で生活する技を身につけていたため、全く問題なし。「やってみたかった仕事だから別にいいか」と実に前向きな極貧時代へ。28歳の頃。
Web制作のアルバイトを始めて1年経たない頃、またもや個人で立ち上げたWebサイトがきっかけで、プロ野球新規球団の公式サイト提案の機会を得る。友人やその会社に勤める知人の後押しもあって、見事受注に成功。その野球の案件とともに、新宿区の制作会社へ転籍。29歳の頃。
Webの仕事を始めた頃に誓った「プロ野球球団の公式サイトをつくる」という目標を達成したたために、次なる大きな目標を「独立して雇用を生み、社会貢献すること」と定めて、2007年にプラハ株式会社を登記。横浜市内の経営コンサルティング会社でのサイト制作業務をこなしながら、ほそぼそと制作活動を開始。33歳の頃。
自分の継続力・発想力の貧弱さと戦いながら、現在に至る。
今後の目標は、安定収入が見込めるWebサービスを構築することと、自分で作ったアロハシャツの通販サイトを立ち上げること、両親と2人の妹から頼りにされること。
趣味:スポーツ観戦、自転車(人に勧められて購入したが…)、一人旅(渡航歴:タイ・カンボジア・台湾・韓国・ベトナム・オランダ・ベルギー・ドイツ・チェコ・アメリカ・メキシコ)



